99.06.12

奥 坂 ま や

Maya Okuzaka

インターネット佳句抄

轍 郁摩 抄出
旧作より、こころに残る作品を紹介

1988年(S.63)
第16回 鷹新人賞作品より

地下街の列柱五月来たりけり

梅干の種の真赤に時雨けり

冬晴やポップコーンを鷲掴み

くちびるをしづめてみたる初湯かな

かの子忌のスポンジの泡とめどなし

はらわたを洗ひたき日の卯波かな

大鮹のもぢゃらもぢゃらと近づき来

海鳴やこの夕焼に父捨てむ

西瓜たたけば前(さき)の世の水の音


1990年
第25回 鷹俳句賞作品より

凌霄花やものの影濃き土佐の国

鮫の鰭峻険にして避暑期なり

はればれと十月来たりハイヒール

白菜を割るや夜空の重たかり

身のうちに鮟鱇がゐる口あけて

大硯寒九の水に沈めけり

缶切はうしろ進みやあたたかし

春月や伸びてみづ吐く貝の管

つばくらめナイフに海の蒼さあり


鷹新人賞「受賞のことば」より抜粋  吟行や袋回しをやっていると、自分で自我だと信じ込んでい たものが融けてゆく。芸術という言葉も、思想という言葉も、 明治より前にはなかったのだと実感としてわかってくる。俳句 ってもしかしたら作品なんかじゃなくて、季語へのお供物(く もつ)なんだと、感じ始めている自分に、自分が一番驚いてい る。 鷹俳句賞「受賞のことば」より抜粋  俳句の世界は孤独ではない−−そう実感できてとてもうれし い。たとえ孤独を詠ってもその句は季語をとおして古今の、あ るいは未来の他の句と通じ合い、さらに広大な歳事記の時空間 とつながっている。


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