2001.08.16

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journal・不連続日誌・journal


「虚子俳話」のようにはいかないが・・・


ball-gs2.gif 2001.08.15(Wed)

炎天の奥に雌蘂の密集す   奧坂まや

■俳句総合誌『俳句研究』2001年9月号/富士見書房

9月号には、能村登四郎追悼特集があり、100句抄も掲載されている。しかし、それは別の機会にゆっくり鑑賞させていただくことにして、私にとってもっとも興味深い奧坂まやの作品を紹介したい。

奧坂まやは「炎天」の似合う人である。「雪月花」の似合う人は多くいるように思うが、ただならぬ「炎天」が似合いそうな人は、そうはいない。

ここでは「現代の女性俳人」と小見出が付き、『たゆたふて』22句が並んでいる。しかも、その中の3句の初五に「炎天を」、「炎天の」、「炎天に」と置かれているのである。似合うというだけではなく、それだけ奧坂まやの身体が共振しているに違い無い。

かつて、「凌霄花やものの影濃き土佐の国」と挨拶句を記した時から、まばゆいばかりの陽光や炎熱、炎天に恋いこがれ、我が身など燃やし尽くしてみたいと思っているようであった。朱帝(炎帝)に愛され、身を捧げることこそが彼女の最大の望みなのではなかろうか。

また、「雌蘂」とは言っても、何の花とは語っていない。花が有する器官の中心となるもの、花ならず生き物のエロスの象徴のような器官が、あやしく、陰りをやどすならば、炎天に愛される資格を失わないのである。

偶然にも、自分の名前の一字が俳句に読み込まれたことによって、この一句の中に、奧坂まやの身体も精神も溶け込んでしまいそうな予感がする。


ball-gs2.gif 2001.08.14(Tue)


2穣6647杼9365垓0696京2193兆4393億2219万2687
 じょう  じょ   がい   けい
                            折橋雄川


■『算学鉤致』/石黒信由

「十七文字」をキーワードにしてインターネット検索を行ったところ、面白い数字が目に入った。

江戸時代の和算の大家(らしい?)、石黒信由(1760〜1836)の著書「算学鉤致(こうち)」に、門人の折橋雄川が、イロハ47文字の17乗を計算して絵馬に書き、立山の雄山神社に奉納したとのこと。この数字を念のためにコンピュータで検算したところ、有効数字29個、最後の一桁まであっていたそうである。

http://www.ctt.ne.jp/~kino/shuchan/4717/oyajino4717.htm

そんな話題を、富山高校元校長の木下周一がエッセイに書き、文藝春秋社の87年版ベスト・エッセイに収録されている(らしい?)。

私がこの数字を引用したのは覚えるためではない。かつて、そんな計算がされ、今では必要とあらば「インターネット検索」で簡単に取りだせてしまう便利さに、この文章を読む誰かが、また、それを引用するかもしれないと考え、リンク、循環、面識もない人々との文字や数字による触れあいを楽しんでいるのである。

Webサイト「晴雨楽天」の制作者にも感謝しよう。


ball-gs2.gif 2001.08.13(Mon)

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
                            藤原敏行


■『古今集』/日本古典文学大系/岩波書店

祭りが終わると秋の気配が立ちはじめた。ケヤキを渡る風の音が涼しい。まだ、眩しい太陽の真下にいると暑いのだが、雲間に入ると背中を押す風が気持ちよい。


ball-gs2.gif 2001.08.12(Sun)

仕事と生活の面で、PEPを取り入れて物事を整理したいという依頼を受けると、わたしは真っ先に、その相手にデスクを掃除させてみる。
                       ケリー・グリーソン


■『なぜか「仕事がうまくいく人」の習慣』/楡井浩一 訳/PHP研究所

大きな注文作品にとりかかる手始めに、少し身辺整理をすることにした。

図面は仕上がっているのだが、なかなか思うように進まない。一番の問題は、私の頭の切り替えなのである。つまり、自分で解っていることだから始末に負えないのである。

自分の部屋に、あまりにもモノや書類、手紙、雑誌、書籍、衣類があふれ、私の動く空間が少なくなってしまったためである。こんな時は引っ越しするのが一番と言われるが、そこまで労力や金を掛ける気持もないので、やはり整理整頓なのだろう。しかし、置き場所を変えてもあまり変わらない。つまり、思い切って捨てるものを探さなくてはならない。これが一人では、なかなか面倒なのである。

普段から、「すぐやる」習慣がついていないものだから、「保留事項」ばかり増えてしまっている。しかし、これもどこか「俳句作法」と似ているようなところがある。つまり、思い切りの悪さが、秀句に結びつかない原因といったあたり。

とりあえず5時間、これまでの作品リストや図面、参考資料類を整理したが、ゴミの山のまだまだ裾野である。

ハウツウものと言うべき Kerry Gleeson の本も、まだ完全には読み終えていない。PEPとは、能率向上プログラムのこと。気分直しにJと遊ぶ。直後にささやかな夕立ちが来た。


ball-gs2.gif 2001.08.11(Sat)


祭りの喧噪を避けるため、高知県立美術館へ昼食と展覧会を見に出かける。

美術館主催の展覧会はいつも空いているので、ゆっくり観て回るのには都合がいい。しかし、彫刻家アレクサンダー・カルダー(モビールを考案したことで有名)の展覧会なのだが、こんなに空いていていいのだろうか。期間が2ヶ月と長いのも原因だろうが、土曜日でこれでは、ちょっと心配でもある。まだ潰れないでいて欲しい。

誰かに似ているなー、と思いながらながら観ていたが、私の好きな猪熊弦一郎のつくるオブジェは、カルダーのオブジェと似ている。パリ、あるいはニューヨークでお互いに影響しあったのかもしれない。そして、生涯に13,000点以上の作品を残しているのにも驚かされたが、もっとさわって、大きく動かしてみたかった。

http://www.calder.org/

午後2時半、突然のスコール。よく降ること。美術館の池に降りつける雨が気持ちいい。ガラス窓の外が白く霞んでしまっている。30分ほどで雨はあがったが、マンションに帰り着くと、ベランダに干してあった座布団と枕がほんの少しぬれていた。3Kmほど離れただけで、幸いにも降り方がかなり違っていたようだ。Jと遊ぶ。


ball-gs2.gif 2001.08.10(Fri)

土佐の高知のはりまや橋で
坊さん かんざし買うを見た
ヨサコイ ヨサコイ
                            武政英策


■『よさこい節』/武政英策 作詞・作曲

高知市内では第48回「よさこい祭り」が始まった。阿波踊りほど有名でも、伝統のあるものでもなかったが、最近は全国的に広まりつつあるようだ。「よさこい」とは、もともと「夜さ来い、祭りなので今晩いらっしゃい」だったと言われる。そして、「よさこい節」は、江島節または木遣節から変化したという説がある。

新興宗教ならず、昭和29年から、高知商工会議所が中心となり夏枯れの商店街振興と観光客誘致を促すため(大儀は市民の健康と繁栄を祈願)に発足した祭りであり、「よさこい鳴子踊り」には,武政栄策の歌詞で、「よっちょれよ!よっちょれよ!」というかけ声と両手に持つ鳴子(鳥脅しなどに使われる)が取り入れられている。

そして、参加チームへの約束事として、曲をロック調やサンバ調など自由にアレンジしても良いが「よさこい鳴子踊り」の曲を必ず入れることになっている。歴史的にも、土佐人は自由が好きなようである。

私の住むマンションのすぐ隣、○産サニー駐車場が「知寄町よってこ広場」、つまり市内にある11の競演場の一つである。正午から午後10時まで、大音響が続く。祭り好きにはたまらない環境のはずであるが、「うるさい!!」のである。

「踊らずしてよさこいは語れない!」と言わるが、やはり祭り好きでなくては、この時期、市内では暮しにくいのである。


ball-gs2.gif 2001.08.09(Thu)

眠りても旅の花火の胸に開く    大野林火

仕事関係の話はどうもうまくいかない。時間をかけて資料を作っても、相手が固定観念を持っていれば、まず半分はだめになる。(そういう私も頭が固いのだが)そうかと言って、その観念を打ち壊してやりたいと思うほどの情熱が持てるものでなければ、結局、堂々巡りに終わってしまう。クーラーの効かない部屋での会話にすっかり疲れてしまった。退散、退散。

私達にしては珍しく、家人と納涼花火大会を見に出掛けた。人込みが苦手なので(○馬場は別)めったに出かけないのだが、路面電車(約8分)で県庁前、そして、歩いて鏡川方向へ。7時30分から花火が始まり、結局、文化ホール前の植え込みフェンスを椅子替わりにして、ワシントン椰子の間に上がる花火を堪能した。缶ビールと扇子は必需品。しかし、南国気分満点。

混雑を避け、花火終了10分前にタクシーを拾い帰宅。高知市内は住むのにほど良い大きさと今夜も実感した次第。


ball-gs2.gif 2001.08.07(Tue)

無事死ぬには、是非とも、肉がフレッシュなうちは鳥や動物にかじられ、やがては虫にたかられ、バクテリアによって分解され、土中の養分になるのでなくてはなりません。
                            吉澤美香


■『圏外遊歩』/岩波書店

吉澤美香のドライさが好きである。醒めているというのともちょっとニュアンスが違うが、即物的というのだろうか、纏わりつく空気が彼女の周りだけ乾いているような、そんな眼差しで周りを見て、感じているように思う。

死後、鳥葬にして欲しいと望む女性はいても、「動物にかじられ」、「虫にたかられ」とまでは、普通考えないのではないか。物理的にリサイクルされたい、しかし献体では何だか良い子すぎて、身体の部品が、人間だけの役に立つのが気に入らないらしい。そうなのか、人だけの事を考えていては、まだまだか、などと妙に感心させられてしまうのである。

私はまだ決めかねて迷っているところもあるが、子供の時から医者に世話になったし、徳島大学医学部を利用させていただき解剖学実習の単位も頂いた。そして、解剖実習に使える人体が不足しているとのことだったので、事故などで利用価値がなくならない限り、献体したいと考えている。

献体の後は、火葬なのだが、火葬よりは土葬になって、盛土になって、そのまわりに苔や草が生えると嬉しいのだが、ホルマリン漬けだと植物やバクテリアの養分にもならないかもしれない。未だに迷う所以である。


ball-gs2.gif 2001.08.06(Mon)

第一に、俳句作者には一応の文学的素養どころか、ものを考える習慣さえ無くても一向に差支えない。俳句作者に在るのは、生まれてから今まで生きてきたという客観的事実だけで沢山である。
                            飯島晴子


■現代俳句の100册『花木集』/飯島晴子/現代俳句協会

飯島晴子の文章というより、そのきっぱりとした考え方が好きである。上掲の言葉も他の俳人が語ったとしたら鼻白らんで素直に同感できない内容かもしれないが、すんなりと入ってくる。しかし、「ものを考える習慣さえ無くても一向に差支えない」なんて、誰が言えるだろうか。そして、追討ちをかけるように、「客観的事実だけで沢山である」と言い切ってしまう。この潔さ。

勿論これがすべてであるとは思っていない。しかし、俳句の特質とは、きっとその客観的事実が絶対なのだと思う。自分の身にまとわりつくあれやこれや、いらぬ考え、情をぬぐい去ることがどれほど難しいことか。中途半端な文学的素養がどんなに邪魔し、あたりきたりの、誰でもが考えるような「ものを考える習慣」が何とうすっぺらなものであるか解っているからこそ、そんなものは不必要と言い切れてしまうのだろう。

毎日、一から出発して俳句を作ったとしても、しっかりした撰者さえいれば何の問題もないのだが、一俳人として一人立ちするためには、類想類句の山をかき分け、誰かがすでに発表しているかもしれないなどと心配しなくてはならない。客観的事実とはそれだけ誰の目にも触れやすいものなのだから。そこそこの俳句ではなく、空気を鷲掴み、そこにH2Oの一滴が残るような、いつまでも記憶に残る俳句を掴み取りたいものである。

夜遅くまで、ビール、酒、酎ハイ、ロックと飲んで、水風呂に使って酔い覚ましも試みたが、やはりアルコールはなかなか抜けてくれなかった。カラオケの無かった店が、いつのまにか大きなスクリーンを用意してしまった。次からはどこへ行こうか。


ball-gs2.gif 2001.08.05(Sun)

人生をぜんぶ余禄、余生と見て、死までの一切を、とりわけ死を滑稽事として演じること。山田風太郎はすでにみごとにやり遂げた。
                            種村季弘


■『日本経済新聞』2001年8月5日36面/日本経済新聞社

「死こそ最大の滑稽」などと、うそぶいてみたい気もするが、そこまで悟り切れないのが人間であろう。私はそんな悟り方はしたくないと考えているし、もっと惨めに愚鈍でいいと思っている。

俳句の一要素としては「滑稽」もがある、それが総べてでは無い。何も演じないで、それが偶々「滑稽」と映るならば幸いであるが、「演じる」というのではどうもやり切れないように思えてしまう。

あまりにも暑く、そうかと言って冷房の効いた家の中でゴロゴロばかりしていても退屈なので、午後3時過ぎから出かける。日差を雲が遮ってくれて、これ幸いと思っていると、また眩しい太陽に晒されてしまった。少し歩くと汗が吹き出て来た。

一日は長いようでも、目的もなくブラブラしているともう終わってしまっている。人生もそんな風に、目的も無く終わってしまうのだろうか。


ball-gs2.gif 2001.08.04(Sat)

謂応(いひおほ)せて何か有(ある)
                            松尾芭蕉


■『俳人名言集』/復本一郎/朝日新聞社

秋吉敏子ジャズオーケストラの演奏を聴いた。8月6日の広島コンサートに先駆け、リハーサルに高知で演奏したらしい。詳しい経緯は知らないが、市内のジャズ喫茶Aのマスターが話を付けたようである。

流石にCDなどとは違った奥行きのある音と、生の響きを堪能した。リクエストされていたらしい「孤軍」では、鼓奏者がいなかったので、テープ音に合わせていたが、テープとは思えないほどの素晴らしさであった。

また、原爆被爆56周年記念として演奏予定の曲は、2年前に頼まれたとのことであったが、本番では韓国の笛と日本人のドラムが加わるとのことだった。演奏は、活気あふれる広島の街の情景描写から始まり、原爆を太鼓(当夜は省略)で、そして彼女のピアノとトランペットのかけ合わせに、他の楽器がからまって、「希望」を表現しようとするものであったらしい。

原爆後を象徴する水の流れや空気の流れのような彼女のピアノが圧巻であった。この部分だけを取り出せば、現代音楽と言っても十分通用するような音であった。しかし、その後、ルー・タバキンのサックス他、重ねられる音色が抒情的すぎて、あまりにも説明的すぎるのには少しばかりうんざりした。オーケストラの演奏を聞きながら、俳句や工芸の事を考え、芭蕉の『去来抄』の中の言葉を反芻して自省とした。

イタリアンレストランDで遅い夕食。めずらしく牛肉を注文したが、脂身はしっかり残した。


ball-gs2.gif 2001.08.03(Fri)

早速、運ばれてきた皿を見た瞬間、私の背中を冷水が走った。「カタツムリの仲間だ!」と。
                            大浜 勇


■'00年版ベスト・エッセイ集『日本語のこころ』/日本エッセイスト・クラブ編/文藝春秋

フランス料理のオードブルに出される「エスカルゴ」であると言っても、ひとそれぞれの反応や感慨がある。

太平洋戦争で兵士となり、ボルネオのジャングルでヘビやトカゲ、ワニ、イノシシ、カエル、果はカタツムリまで「生食(焼くと煙りで発見される恐れがあった)」にして生き延びることができた大浜勇にとっては、もはやそれは食べるためのものではなく、餓死から救ってくれた仲間として口にすることのできないものだったのである。

戦争の極限状態においては何が起るかわからない。そこでは、善悪の基準さえ往々にして変えられてしまうのだから。私の父もジャングルでヘビやトカゲを食べたと言っていたが、戦場の話はあまりしたがらなかった。戦争や戦場を知っている人々もだんだんと減っていく。


 


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