2001.01.31

journal・不連続日誌・journal


「虚子俳話」のようにはいかないが・・・


ball-gs2.gif 2001.01.31(Wed)

選句が終わりますと、毎回フルマラソンを終了したような充実感を覚えました。
                           黒田杏子


■『現代俳句鑑賞』/深夜叢書社

俳誌「藍生(あおい)」の雑詠選評をまとめて一冊にした本が出版された。1990年創刊以来すでに10年、120回分が403ページの大冊として編集されている。

したがって、心情的には黒田杏子は120回のフルマラソンを走ったことになる。「選は創作である」と言ったのは虚子だが、主宰者は自ら目指す俳句世界を常に選句によって連衆に伝えようとしているのである。充実感を得るためには、選びがいのある作品が毎月投句されるのを待つしかないのも事実である。

私のおぼつかない記憶に残る俳句は数少ない。さて、千年残る俳句とはいったいどんな句であろうか。まだ日本語の解る人間が生きているだろうか。一日、小雨の降り続く国分川を見下ろしながら、川の流れのゆくえを考えていた。

ball-gs2.gif 2001.01.30(Tue)

「人間的な生を大切にする」ということを一言で表せば「フィランスロピー」ということになる。
                           村山陽一郎


■『科学の現在を問う』/講談社現代新書

現在の日本では、企業が得た利益を社会還元する活動の意味で使われるらしく、「フィル」が「愛する」、「アンスロピー」が「人間」という元はギリシャ語の二つの言葉の合成語と説明があった。

残念ながら私のまわりには「フィランスロピー」などといった洒落た単語を使ってくれる友人がいないものだから、「博愛=philanthropy」などといった英単語は頭から消え去ってしまっていた。いや、受験英語としてインプットしたかどうかさえ疑わしい。Web検索で調べてみると、企業が社員に与えるボランティア休職やゴルフコンペが並んでいる。

バブルのころ流行っていた企業による芸術文化活動への支援を意味する「メセナ」が古臭くなって、こちらを使いだしたということだろうか。「人間的な生」と「生物学的な生」の話にすこしだけ思いがいたり、社会全体が受け入れるにはまだまだ時間がかかりそうなどと考えたりしている。

危険そうな薬をもらってきたが、飲もうか飲むまいか迷った末、思いきって水で胃袋に流し込んだ。3食後とのことであるが、不規則な食事時間でつい飲むのを忘れてしまいそうである。体調が悪ければ嫌でも飲むのを忘れないのだが、「忘れる」と「飲む必要がない」と言うことが同じにはならないらしい。頭や目を使わないのが一番いいのかもしれないが、それは難題である。

ball-gs2.gif 2001.01.29(Mon)

古い学習机に原稿用紙を十センチも積み上げ、そこからわずか十センチまで顔を近づけて、口を開けたまま一文字一文字書きつけている井上さんがいた。
                           栗山民也


■『日本経済新聞』/2001.01.29「今を見つめ紡ぐ」より/日本経済新聞社

1986年、演出助手として、遅筆で知られる井上ひさしを旅館に訪ねたときの話である。芝居「キネマの天地」の台本は、初日の2週間前になってもまだ半分しか無かったと言う。しかし、真剣に作家が言葉と格闘する現場をかいま見てしまってはもはや催促することさえできなかったようだ。

版画家の棟方志功も近眼で、版木に眼鏡をくっ付けるようにして彫刻刀を振るっているモノクロ写真を見た記憶がある。井上ひさしなら鑿がわりに万年筆で言葉を彫刻していそうにさえ思われる。あの可笑しさと哀しさを突き付ける「言葉にこだわる」とはそこまでやり抜かなければならないのだろう。

今日はMRIで頭部、X線で腰部、心電図、血液、尿の検査など、かなり精密に検査をしてもらった。第3、4、5頚椎の突起と、いくつかの腰椎の凹みなどが頭や顔面に負担を掛けているとのことであった。言葉と同じように身体も大事にしなければならない。しかし、MRI撮影フィルムをすんなり頂けたのには驚いた。デジタル処理が進み、記録をディスクに残せるらしく、説明用フィルムは保存不用のようだ。

貰って返った頭部断層写真を一時間ほどあれこれ想像しながら観察したが、確かに左右対称でないのが面白い。残念なのは、脳梁、中脳、小脳、大脳の微少部分において画像の鮮明さに欠ける点である。病院関係の知人の話では2月末にも新機種に入代わるとのことであった。次回はもっといい写真がもらえるようである。

ball-gs2.gif 2000.01.28(Sun)

枯木らの贔屓の星の出そろへる   藤田湘子
                       (俳誌鷹2001.2月号より)

空を見上げるのが好きである。蒼い空や雲の流れは何時間見ていても見飽きない。雨の降る曇空も悪くはないが、少し変化があるほうが面白い。そしてまた、夜空の星や月や片雲を見上げるのも好きである。

記憶力の悪い私は、星や星座の名前を覚えても代表的ないくつかを残しすぐに忘れてしまう。というより、古人が名付けた名前よりも、自分で適当な名前を付けたり、その日の気分で勝手な星座をついつい誕生させたりして遊んでしまうのである。科学的な話には人一倍興味があると思っているのだが、完璧に科学で割り切れてしまうのも否なのである。だから私と言う人間はあいまいなのかもしれない。

空気の冷たい冬の星空は美しい。藤田湘子の住む多摩丘陵あたりでは、少し出歩けばまだまだ街のあかりに邪魔されず、全天に広がる星々を楽しむことができるのではなかろうか。枯木や家々を包みこむように、あるべき星があるべき高さに出そろった喜びは、機会あるごとに空を見上げいるものにしかわからぬ至福の時間と言えよう。

科学的には、光速が求められ、そのはるかな距離が求められ、中には私達が見ている星の光はあっても、その光の元となった星自体が何億年も前に爆発、消滅してしまって今は何も無くなっているものさえあるとの話も聞いた。今しばし、この星空の輝きを楽しみたいものである。

第4日曜日、午後は高知鷹句会の定例会であった。12人参加。最高点句は6点。私はめずらしく高得点の5点を頂いたが、俳句の高得点は曲者である。「高得点に名句なし」の言葉があるように、情緒的な句は支持されやすく、支持された句が良いと自分で誤解してしまうのが恐ろしいのである。自選力が試されるときでもある。

ball-gs2.gif 2001.01.27(Sat)

「そうでもしねェと 第二宇宙速度を出せるパワーなんてわいてこねェんだ」
「ヤだな そんなの・・・ 愛がない」
                           幸村 誠


■漫画雑誌『モーニング』/20001年2月1日号/「プラネテス」より/講談社

「プラネテス」はデブリ(宇宙ゴミ)回収作業員の未来漫画物語。主人公のハチマキが、二十歳そこそこの新人女性タネベに、宇宙では甘えにつながるものは捨ててしまえ、魂だって売ってしまえと言った後の場面から繋がっている。

漫画の枠外に小さく第二宇宙速度の説明があって、「人工天体が地球軌道から脱出する速度。秒速11.2Km。脱出速度とも言う」とあった。私は漫画雑誌でもただストーリーだけではなく、解説やコラムや技法的にここはまだエアーブラシで地球の大気の様子を描画したんだとか、スクリーントーンを使ったんだとか、脇道にそれて作者やアシスタントたちが描いている様子を想像することまで楽しんでいる。

だから、漫画でも一冊読むのに、家人の2、3倍かかってしまって何時も呆れられるが、表紙や目次を見るだけでも遊べてしまうのである。今思えば、確かに漫画の目次まで見る人など少ないかもしれないが。

第二宇宙速度を時速に直すと40,320Km。いつも60Kmそこそこで走っている私の車では想像もつかないスピードではあるけれど、つまり、宇宙船のギアをセカンドに入れた状態なのだろう。サードやトップに入れると、太陽系や銀河系から脱出できることになるのだろうか。私には難問であるが面白い。
(私の車は、購入してから4年で、まだ27,862Kmしか走っていない)

午後から郊外で散策。関東地方は大雪とのことであったが、高知市は快晴で暖かい。夕日の沈む時間が少し遅くなってきたようだ。

ball-gs2.gif 2001.01.26(Fri)

デザイナーの仲條さんが、二枚どうしても使いたいということで、この写真も載せました。
                           坂東玉三郎


■『ザ歌舞伎座』/撮影 篠山紀信/講談社より

8X10(エイトバイテン)と呼ばれる大型カメラのフィルムを用いた篠山紀信による歌舞伎座の写真集である。写真集など立読みすれば済みそうなものだが、雑誌で何枚か見る機会があったので、家人に頼んで買ってきてもらった。

案内役の玉三郎が「度々私が顔を出して申し訳ありません」と詫びているが、やはり華のある写真が並んでいる。装幀・デザインの仲條正義の意向とのことで、何枚かの組写真があり、そのなかで「玉三郎楽屋」の解説に上記の言葉が現れる。

勘太郎、七之助を前に、顔だけ化粧した写真と鏡獅子の衣装に扮装した写真が続いている。このとき、撮影関係者を除けば楽屋内には被写体の3名しかいないはずなのだが、壁の立鏡にもう一人の玉三郎が映り、虚実あやふやな世界が描かれている。

役者がすでに虚像であるならば、鏡に写った姿は実像だろううか。その姿をフィルムがとらえ、印刷フィルムに置き換えられ、紙に印刷される。ついには、私の網膜に逆立投影しその姿を認識する。確かなものの無さをつくづく感ぜずにはいられない。

ふと、「頭寒し頭のかたち見えねども  藤田湘子」の句が頭をかすめた。

ball-gs2.gif 2001.01.25(Thu)

人道主義が登場するのは、ある政治が失敗したとき、または危機的状況に置かれたときでしょう。
                  ジェームズ・オルビンスキー


■『1999年度ノーベル平和賞受賞スピーチ』より
http://www.japan.msf.org/nobel-sp.html

軟弱な私は、政治的な話は苦手である。しかし、そんな私でも、何処かでほんの少しだけ誰かのためになるようなことができないかと考えている。ある資料を作成するため、「国境なき医師団」をキーワードにWeb検索していて、上のような言葉と出会った。

危機的状況におかれたモノや動物や人に、何も与えるべきモノや手段を持っていないことに私は愕然とした。貧弱な言葉でも、何かの役にたてばと思うばかりである。

さて、鷹2月号が郵送されてきた。またしても2句組(6句提出のうち、選に残った数)、同人としては情けない成績である。新年例会で拝聴した注意点をもとに、斬新な視点を見い出し作句しなければならない。しかし、不様な作品を人目にさらさず切捨てて下さる湘子先生には感謝している。毎回期待に応えられないのが恥ずかしい。

一日、冷たい雨が降っていた。

ball-gs2.gif 2001.01.24(Wed)

2001年、太陰暦元旦。おめでとうございます。
                           轍 郁摩


私は10年ほど前から高島暦を買い求め、太陰暦で過ごすことにした。

西洋式のカレンダーが嫌いというわけではないが、米を食べる農耕民族の末裔として、月の満ち欠けをおもいやり、現実世界を少し斜眼で見て生活したいといった欲求が起ったためである。

そこには、マスメディアに左右される太陽暦とは微妙に違った時間の流れがあった。 つまり、自分で常に時間や季を意識していなければ、はて今日は何日だったかしらと言った具合で、日にちさえわからなくなってしまうのである。しかし、毎夜見上げる月や星のなんと美しく新鮮なことであろう。

花、月、雪、星、馬たちに心遊ばせ、創造神と交歓できる精神と肉体の健康の喜びを噛みしめている。皆様にとって、よき1年でありますように。そして、私にも。

ball-gs2.gif 2001.01.23(Tue)

我はわづかに我を描く事を得れば幸としてをる。
                           高浜虚子


■『虚子俳話』/新樹社

私の大晦日である。やはり虚子に登場してもらわねば幕は降りない。

この本は、昭和30年から34年4月8日まで、朝日新聞の俳壇の選者であった虚子が、隔週の選句発表に添えて連載していたものをまとめたものである。
もちろん私が入手したのは新装本の尚かつ第7版である。しかし、鴬色の表装といい、手ごろな大きさといい、読みごろの文章といい、まことに愛書にふさわしいものなのである。旅行にもよく持参するが、どのページを開いても確かな真実と作者の思いがつづられていて、何度読み返してもこころに深く映るのである。

このように幸を得られることを望みつつ、私もまた作品を生み出して行こうと思う。

ball-gs2.gif 2001.01.22(Mon)

その後、父はアメーバの話をもちだして、私の神と科学とを戦わせる暴挙に出たが、私は泣いてふんばって、許しを得たのだった。
                           山本容子


■『エンジェルズ・ティアーズ』/講談社

版画家の著者は中学二年でカソリックの洗礼を受けたそうである。

仏教の父に洗礼の相談をすると、自分の信じる神の話を聞かせてくれと言いだし、山本容子が聖書の話がいかに面白いか興奮してしゃべった後だったとのこと。病院の待合室、時間潰しのために持参した本を読んでいて大笑いをこらえるために、わたしは何粒も涙をこぼしてしまった。何度読み返しても笑いがこぼれてしまう。この本は、もらった薬よりも私の身体には薬になったようだ。

夕食はマンション裏のリストランテKへ。昨夏オープン以来、1週間に1回以上は利用していることになる。毎回、ミニ黒板のメニューを見て何か新しいものがないかお薦めを確認するのだが、「ガシラのオーブン焼き、トマトと香草ソース」が絶品であった。「ガシラの唐揚げ」は、高知の居酒屋でもよく食べるのだが、かなり大振りのガシラが出て来て感激。鹹く味付けされていないのが特に良かった。

ball-gs2.gif 2001.01.21(Sun)

昨年オープンの東京Dホテル24階。昨夜は雪道をタクシーで帰って来て、朝までにかなり積もるだろうと思っていたが、カーテンを開けると快晴の空の下、白い街並みに東京タワーや皇居が遠望できた。やはり、普段よりかなり明るく感じた。

午後から上野公園の溶けかけた雪道を散歩し、西洋美術館でカフェオーレを。ロダンの彫刻「青銅時代」の足指が、左足は小指、右足は小指と薬指が曲った形に表現されているのを発見。これまで何度も見ているのに、その度に違ったところに眼が行くから面白い。こうして文章にしてみると、また記憶の奥深くへ染込んで行きそうである。

ball-gs2.gif 2001.01.20(Sat)

だから銅鏡も、本物の銅鏡か、こっちでつくったのかわからないのがあるんです。
                           陳 舜臣


■機内誌『翼の王国』20001年1月号/全日空

小雨散らつく高知を後に、鷹中央例会新年句会(東京会館)に出席のため上京。

ANA機内誌の中で「シルクロード・温故知新」と題した、陳舜臣と平山郁夫の対談の一節が面白かった。239年、卑弥呼の使いが洛陽へ貢ぎ物を持っていった代わりに、景初3年の銘の入った三角縁神獣銅鏡をもらって帰ったが、その模倣品をすぐに作って、年号を景初4年としたとか。ただし、当の中国には4年は無かったという笑い話であった。

1時間20分ほどの機上時間と1800年ほどの経過時間、その時間の手掛かりとなる銅鏡。儚さとは、それらすべてを含んだ概念に他ならないのだろう。だからこそ、仲間に会い、旨いものを食べ、飲み、話すことが幸せでならなかった。

湘子先生はお元気であったが3次会には参加されず、F君に後を託されタクシーで御帰宅。そのあと、仲間15人が、激しく柔らかに雪降る有楽町の町をビアホールへ。着くころには、ベレー帽も鞄もコートの肩も真っ白。南国高知から出かけた3人は、この雪の御馳走に大はしゃぎしたのであった。

ball-gs2.gif 2001.01.19(Fri)

蝶葬にすべく花菜の黄を束ね   中原道夫

■句集『歴草』/角川書店

はたして「蝶葬」が可能かどうか私は知らない。しかし、ある日の山歩きのなかの一風景が蘇ってきた。何日も日照りの続いていた夏のことであったと思うが、そこには泉でもあったのだろうか、少し湿り気をおびた山道に数百もの蝶(深山烏揚羽?)が羽を休めながら水分を吸収するかのように、ストローを伸ばしていたのである。

もうひとつ、昔、某有名カメラマンの印度旅行の話を読んで感動したのを思い出した。それは、乾燥地にもかかわらず、村境のような所にあるこんもりした土塚のまわりだけうっすらと苔や草が生えていたそうである。どうやら死体を土葬したもので、その養分が苔やわずかの草を生やしたとの観察であった。日本も昔はそうであったに違いない。

チベットには鳥葬があるのだから、世界のどこかには蝶葬もあるかも知れない。そう思うと、集めた花菜をめがけて、どこからともなく揚羽が集まって来そうで恐ろしくなったが、それはまた再生への営みでもある。葬りが暗く寂しくならないのがこの句の幸いである。

多くから支持され、すでに第5句集の中原道夫である。彼は単純化とは異なる独自の俳句の世界を形成しようと試みているように思えてならない。

ball-gs2.gif 2001.01.18(Thu)

子規の言う写生とは情緒本意ではなくて、自分が見たもの、一回性のもの、そのものとのかかわりを詠めということを言ったのではないか。
                           今井 聖


■雑誌『俳句研究』20001年2月号/富士見書房

鳴戸奈菜、今井聖、小川軽舟による特別鼎談「感動の一句・年鑑自選句を読む」より。ただし、各自が「俳句研究年鑑2001年版」から一句を選ぶのでは無く、各自のベスト30くらいを持ち寄り合評した様子であった。

その中で私の好みのものは、嗜好順に、

  やがてわが真中を通る雪解川    正木ゆう子
  買初の花屋の水をまたぎけり    小島 健
  七夕や若く愚かに嗅ぎあへる    高山れおな
  どちらから手を離せしか星流る   鳥居美智子

であった。情緒的なものを選んでしまったかとも思うが、わかったふりをせず、現時点での私が素直に好いと思えるものである。1、2位の順位は難しいが、長く飽きがこないで楽しめるのは正木ゆう子の句であろう。人間の不可解さも感じられて。

ball-gs2.gif 2001.01.17(Wed)

かぞえることを知った人類は、やがて数には限りがないことに気づいた。どんな大きな数にも、その次の数が考えられるからである。
                           野崎昭弘


■『数学屋のうた』/白揚社

今手許に無いが、確か江戸時代の「塵劫記」には大きな数の呼び名が漢字で書かれていた。那由他や不可思議などいい名前だと子供心に思ったものである。

「それから?」とか「つぎは?」というのは「どうして?」と言う質問と同じように何か楽しい、ワクワクする夢や知識が得られる合言葉であったような気がしている。

無限や不可能で片付けてしまうよりも、もう少し先を見てみようとする欲があると、また違った発見ができると信じている。もっと単純でいいのではなかろうか。

しかし、単純と安易は同意語ではない。誰にでもわかるやさしい言葉だけでは表せない複雑な情緒や感覚、感情、事象が存在する。理解しようとする努力や基礎知識は必要であろう。

ETV2001『インターネット短歌の世界』、少しだけ期待していたのだが、しっかり肩すかしされ、退屈で半分うたたねしながら見てしまった。編集者の意図が浅薄とは言わないが、「グサリと心臓にくるような言葉」がなかったのが残念。

ball-gs2.gif 2001.01.16(Tue)

「だって、生きてて楽しい必要なんかあんのかよ」
                           藤原伊織


■雑誌『週刊現代』1/20日号/講談社/連載第20回「蚊トンボ白鬚の冒険」より

二十歳の配管工・達夫が年上の記者・真紀の質問に答えともならぬことばを発する。 独り暮らしで生きて来た主人公の思いであろうが、今の多くの若者達が言いそうな台詞である。藤原伊織は、スピード感のある短いセンテンスに載せて、複雑な人間心理を描写していく。

「楽しいことだってあるんだよ、君たち」と言ってやりたいが、生憎それを具体的に説明し、納得させることができるほどの経験を私は持たない。しかし、まわりの自然に眼がそそがれ、毎日違った事物が見えるだけで楽しいのである。あまりにも安易な生き方かもしれないが。

空気がぴんと張ったような寒さ、しかし、陽光が眩しすぎるほどの快晴であった。空気中の湿気が無いためか、遠方の山々の襞までが、はっきりと見えた。午後、北に連なる高からぬ山襞の影は、「仕事などお止めなさい」とでも言うようなやわらかい彩り。甘い誘惑につい負けそうになってしまう。

 


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まだ捜している最中。以前、眠り姫の日記を時々開いていたことがあるが、はたしてあれは何処に行ってしまったのだろう。

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