2001.11.30

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journal・不連続日誌・journal


「虚子俳話」のようにはいかないが・・・


ball-gs2.gif 2001.11.30(Fri)

第1回ITS世界会議がパリで開催され、また日本でもITSの実用化を推進するVERTIS(現ITS Japan)が設立された94年当時、ITSのもたらす世界は構想にすぎないものでした。

■『トヨタのITSへの取り組み』/トヨタ自動車株式会社

大阪にて仕事。遊びではなく仕事で県外に出るのはそう多く無い。

少し目を離しているとその分野の人々にしか解らない略語が次々と乱造され、それが解って当然といった雰囲気で話をされてしまうので閉口してしまう。

「IT」がやっと「Information Technology」の略称だと理解されはじめたところなのに、今度は「ITS」である。これをすんなり「Intelligent Transport Systems」の略であると話題に付いていける人を私は尊敬すると同時に半ばあきれてしまう。

きっと「VERTIS」では長いので、「IT」に似た「ITS」にしたのだろうが、それを「JR」「JA」「JRA」のように安易に普及させるつもりだろうか。

今日からこのシステムのひとつとして「ETC」が運用されはじめた。これは、「ノンストップ自動料金収受システム」(Electronic Toll Collection System) とのことだが、「Toll」と「通る」を下手な掛言葉(?)にしたものか、謎は深まるばかりである。


ball-gs2.gif 2001.11.29(Thu)

土耳古石は不透明宝石中最も優秀の地位を占むるものであって、其の色は空青色即ち緑青色乃至黄緑色を帯ぶ。
                             久米武夫


■『寶石學』/風間書房

トルコ石の青には、確かに青空の温かさがある。カットした透明宝石のような冷たさではなく、どんなに磨いても温か味が残る。硬さもさほど無い(硬度6)ので、それほど高価な値が付けられることもないが、黄金やシルバーのアクセントには赤瑪瑙や珊瑚、孔雀石とともに相応しいような気がする。

この半貴石は、空青色が最高とされ、アメリカでは「ロビンエッグブルー」と呼ばれ珍重されると聞いたことがあるが、かのヨーロッパコマドリ、否、北米産のコマツグミの卵を一度見てみたいものである。


ball-gs2.gif 2001.11.28(Wed)

インド独立の父であるガンジーは、しばしばマハトマ・ガンジーという敬称で呼ばれている。
                             高田 宏


■季刊『銀花』2001年12月30日 第128号/文化出版局

かつて、映画「ガンジー」を見た。記憶の中では、何故か手紡ぎ車(チャルカ)を回すガンジーの姿が思い出されてならない。勿論、無抵抗の行進やハンガー・ストライキのことも忘れたわけではないが、単純そうに見える作業を続ける姿が印象的であった。

「マハトマ」とは「大きな魂」という意味で、タゴールによってガンジーに捧げられた詩のなかの言葉とされる。多くの人に様々な尊称や敬称が付されて呼び名として広まっていくが、それが本名と思って覚えていたものもある。また、ガンジーが明治2年生まれとは知らなかった。時は過ぎ行くばかりである。


ball-gs2.gif 2001.11.27(Tue)

トーキーだから当然のことながらサウンドトラックがあるのだが、ウォルトはあえてセリフを主体にせず、音楽を使ってアニメーションを展開した。
                             村上太一


■『FMfan』2001年11月26日号 No.25/共同通信社

今年の12月5日は、ウォルト・ディズニーの生誕100周年になるという。東京ディズニーランドがオープンしたのが1983年、そして今年はその隣に世界の海を舞台に7つのテーマポートからなるディズニーシーが9月4日にオープンした。

ミッキー・マウスが初めてトーキー映画「蒸気船ウィリー」の主演を演じたとき、まだまだセリフが実写に勝てないために音楽を大切にし、そのために子供たちにも共感されやすかったのではなかろうか。

言葉ではなかなか情感を高められなくても、言語の壁を越え、国境を越え、音楽にはその力が強く存在するように思える。

一匹のネズミからここまでの夢や産業を想像したウォルトには、アメリカの大量生産の思いが付きまとう。そして、私は子供のころから、ミッキーよりも人間臭いドナルド・ダックにひかれることが多かった。もっとも、一番夢を見せてくれたのは、妖精のティンカーベルだったような気もするが。


ball-gs2.gif 2001.11.26(Mon)

両神は兜太の山ぞ通草採   藤田湘子

■俳句雑誌『鷹』2001年12月号/鷹俳句会

四国に生まれ住むものにとっては関東の地名や山の名から、その姿、気候を想像するのは難しい。果たしてそれが関東の山であるかどうかさえ覚束無い。しかし、「兜太の山」と呼ぶかぎりは、金子兜太が生まれ育った秩父から見える「両神山」なのであろう。

季語「通草採(あけびとり)」から類推すれば、悪太郎の少年「兜太」が近所の仲間を引き連れ、洟をすすりながら「あかなべ」や「あおなべ」と呼ばれる熟し始めた通草の実を探している状景が目に浮かぶ。あけびは少年にとってはちょっと甘く、エロチックな印象の実であった。

なお、蛇足ながら、金子兜太には句集「両神」がある。

雲一つない快晴の空もいいが、筆山にかかった夕映えにたなびく雲もいい。しかし、夕食を済ませレストランを出た途端、「寒くなった」と思わず肩をすぼめてしまった。半月よりも膨らんだ11日の月が昇っていた。


ball-gs2.gif 2001.11.25(Sun)

だがその後の一年、塚本の作品は微妙な崩れを見せ始めた。
                             中井英夫


■現代歌人文庫『中井英夫短歌論集』/国文社

1970年11月25日、塚本邦雄の理解者であった三島由紀夫自刃。岡井隆も突然の失跡をとげた。その後、塚本がこの二人に対して第7歌集『星餐図』によって献辞を捧げたのは有名な話であるが、その後の一年を冷静に見つめていた男がいた。

1949年以降、「短歌研究」「日本短歌」「短歌」編集長。寺山修司や中城ふみ子、葛原妙子、塚本邦雄を前衛短歌としてデビューさせた張本人である。

その彼の目に、塚本の作品の崩れとして映ったのは、「男歌」を持たぬ「女歌」の寂しさであった。元来、前衛と言えども岡井は茂吉の流れをくむ正として、そして塚本の本領は「負数の王」として、世界を逆光線の視線で捕らえ、真実繊細な人間の心の本音を「いたわりの歌人」として言葉で慰めるものであった。その琴線に触れようと思わぬものには、荒唐無稽としか感じられない幻視と映ったのも事実である。

まさに陰陽、月と太陽、女と男、どちらが欠けてもならないものではあるが、中にはアンドロギュヌスも存在する。さて、今「男歌」を継ぐ歌人はだれなのだろうか。

午後1時より、高知鷹11月定例句会。10名出席。

憂国忌風に怯えし馬駈ける   郁摩


ball-gs2.gif 2001.11.24(Sat)

私は、あなたをハナっ紙のように思っているのではありません。
荏苒(じんぜん)として日は経とうとも、忘れ得ぬ思いは地獄まであるだろう。
                             森繁久彌


■朝日文庫『品格と色気と哀愁と』/朝日新聞社

俳優・舞台人としての森繁久彌を知らない人は少ないのではなかろうか。私の記憶のなかでは、「知床旅情」の作詞作曲者としての思いは抜きにできない。また、ラジオから流れてくる朗読にはいつも感心させられている。

この一冊の本の中には、多くの人との別れがある。仕事仲間の俳優や監督、最愛の息子や杏子夫人。そうかと思えば、宰相に寝取られた芸者さんから、業病にかかった親戚の娘、舞台を見ず眠っていると思っていた盲目の女学生などなど。

パリに住む友人の女房を慰めに訪ね、脾肉を通して恋がうまれかけたことも赤裸々に書いている。その女性に、「あなたをハナっ紙のように思っているのではありません。」とは、なんと素敵な語りかけだろう。一度はこんなことを言ってみたいものである。

雲一つない快晴。午後から馬を見に出かける。


ball-gs2.gif 2001.11.23(Fri)

祇王寺に女客ある紅葉かな   高浜虚子

■朝日文庫『高浜虚子集』/朝日新聞社

俳句仲間と吾川郡春野町に新しくできた温泉&宿泊施設「Hの湯」へ。快晴。

総勢9名による鍛練会である。毎月決まったメンバーで定例会や吟行会を行っていても、全員泊込みで朝までやるのは数年ぶりなので楽しみであった。私は吟行会にはあまり参加していないが、今回は豪華な風呂付とのことで、それに釣られた部分も大きい。

午後2時到着後、来年の高知国体メイン会場となる春野総合運動場まで仲間と吟行。暦上は冬であるが、まだ秋草や紅葉、黄葉が美しく、句材をいろいろ見つけることができた。「イロハモミジ、トウカエデ(切れ込みが3つ)、タイワンカエデ(切れ込みが3つ、やや大きい)」など、公園の植栽の変化にも話がおよび、トウカエデと一般に呼ぶのは「唐楓」のようであった。植物学的には「槭」が使われるとも。

夕食後、吟行句会、ホッチキス、席題、袋回しと4回、ここで午前3時となり就寝。朝10時のチェックアウトまでに席題句会を1回。早朝起床組は、これにもう1回席題句会を行ったとのこと。

ところが、最初期待していた砂風呂は俳句を考えはじめると何処かへ飛んでいってしまい、結局、サウナ、屋外プールともども使わず仕舞いであった。残念。ただ、朝風呂は7時半に入ったが、30分以上、広い広いスペースを私の貸しきり状態で大満足。今度は俳句を忘れて来てみようと思った次第であった。


ball-gs2.gif 2001.11.22(Thu)

ハイゼンベルクのヘルゴラント島の夜、シュレーディンガーの雪のアルプスの夜、ファインマンのナッソー酒場での夜、あるいはネルソンの空白の夜に比べるのはおこがましいかもしれないが、スイスにいた1980年のクリスマス休暇のとき、黒い森近くのアウトバーンを愛車のランチャー・クーペで時速180キロを超えた瞬間、ぼくの頭にふと浮かんだ数式があった。
                             保江邦夫


■ブルーバックス『Excelで学ぶ量子力学』/講談社

唐突に「地球も月のように輝いているのだろうか?」と疑問が頭をかすめた。

月(衛星)というよりは、火星や金星のような惑星なのだから太陽の反射で光っていることになっているのだが、やはりその姿を見たことがないのでどうも実感に乏しい。また、火星や金星のように小さくではなく、月のように大きく輝いている姿が見てみたいのである。ただしスペースシャトルのような棺桶の中から見るのは御免こうむりたい。そうすると、やはり月面に立って見上げるしかないのだろうか。

仕事をしている最中にふとこんな考えが浮かびはじめると、後はとりとめない妄想が増殖していくので、それを食止めるのに必死である。

私の頭には画像や図形は浮かぶが、数式は浮かばない。しかし、保江邦夫は「数式など、美術館に飾ってある絵画と同じで、内容や意味がわからなくても、絵柄としての美しさや面白さだけみてもらってもよいのだから。」とも語っている。

なお、付録CDには、Excelを使った数値シミュレーション結果を圧縮したデータがWindows用に収録されているそうだが、Macでは見ることができないらしい。


ball-gs2.gif 2001.11.21(Wed)

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
                            与謝野晶子


■『みだれ髪』/東京新詩社

某サイトのゲストブックに「柔肌の 熱き血潮に 触れも見で・・」は樋口一葉の歌とあったのを発見したが、これは与謝野晶子の歌ではないかと問い合わせがあった。もちろん与謝野晶子には間違いないが、歌は覚えていても、その表記すべてを覚えているわけではない。こんな時、以前なら書棚の詩歌文学全集を探しまわっていたが、最近はインターネットのお世話になっている。便利になったものである。

http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/bungaku.htm#kindai

そして、初版は明治34年8月15日発行、この時は著者名が間違って鳳昌子と印刷されていたことまで解ってしまった。

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君  (M.34)
やは肌のあつき血汐に觸れも見でさびしからずや道を説く君  (S.8)

また、改造社発行『與謝野晶子全集』とは一文字の違いがあったが、私には「觸れ」より「ふれ」が好ましい。(テキストファイル入力:岡島空山)

しかし、一般的には学校卒業までに教えられた歌を、およそ何首くらいまで覚えているものだろうか。正確には表記できなくても、折にふれ口ずさむ歌が何首かあれば、それだけで心豊かに感じられるのではなかろうか。

この夏訪れた宇治市内にも、この歌を刻んだ石碑があったように記憶する。


ball-gs2.gif 2001.11.20(Tue)

芸術の極意は、やわらか味という事ではあるまいか。
                             高浜虚子


■『俳句への道』/岩波書店

「さすがに虚子はいいことをいうなあ・・・」と、この文庫本を読み返すたびにどこかの文章に納得させられている。

「芸術品の高貴な厳粛な柔和なすべての現れは、つもりつもった写生の技とその人の精神から来る。」と言われても、写生や精神の言葉にいささかとらわれ、どうも腹に落ち着かないのだが、「やわらか味」と言われると、そうありたいと思う。

肩肘はってもさほど変わらない世の中であれば、やわらかく生きていきたいと思う。

県立美術館のレストラン「ピチカート」で昼食。木の葉が色付き、静かなたたずまいを見せはじめた。


ball-gs2.gif 2001.11.19(Mon)

海外にも作品が翻訳される世界同時的現代作家である。


■『新訂総合国語便覧』/監修 稲賀敬二 他2/第一学習社

少し懐かしくなるような、高等学校の国語教科書副読本をたまたま入手した。ほとんどカラーページ、2001年1月10日、改訂29版発行とあった。

最も興味をそそられたのは、「小説家・詩人・歌人・俳人」の各項目では、どこまで新人が紹介されているかということだった。

小説家では、1964年生まれの吉本ばなな。小説『アムリタ』(94年)
詩人では、1939年生まれの長田弘。詩集『食卓一期一会』(87年)
歌人では、1962年生まれの俵万智。第二歌集『かぜのてのひら』(91年)
俳人では、1920年生まれの飯田龍太。句集『亡音』(68年)

ここでは、想像に違わず俳句がもっとも高齢者の文学のようであった。四ッ谷龍(58年生)や奧坂まや(50年生)、正木ゆう子(52年生)など、まだまだ出てこないのだろうか。

ちなみに掲出文は、吉本ばななの解説の中にあった。「米中枢同時テロ事件」ではないが、「同時的」がどうも頂けない。


ball-gs2.gif 2001.11.18(Sun)

高行建(カオ・シンチエン、こいこうけん)とは、現代中国という不条理なる国家から、言語を盗んで逃亡し続ける極北の人である。
                             藤井省三


■『日本經濟新聞』2001年11月18日/日刊23面/日本經濟新聞社
わずか原稿用紙2枚ほどの書評でありながら「言語を盗んで逃亡し続ける」という言葉には穏やかならざる響きがあった。高行建は天安門事件を機にフランスに亡命したが、昨年、中国人として初めてノーベル文学賞を受賞している。

書評の対象は『ある男の聖書』(集英社)であり、私もまだ読んではいない。しかし、ここまで評価されれば読まねばなるまい。藤井省三の言葉からは、言語にかかわる作家と公用語として言語を持つ国家、そしてその歴史を思わずにはいられなかった。

夜中(19日午前2時)に起き出して、流星を見に出かける。少し郊外に車を走らせ、街明かりの少ない橋の上に立つと、全天に星達が輝き、あれがカシオペア、北極星、北斗七星、獅子、オリオンと見上げる間にも、星が流れる。また流れる。

光り弱く流れるものもあれば、かっと明るく飛び去るものや、めずらしく色彩を放ちながら過ぎ行くものもあった。

銅鉱の燃ゆるがごとき星流る   郁摩


ball-gs2.gif 2001.11.17(Sat)

「じゃ、あの稽古場の鯉が・・・・ほんとうに、飛んだって言うの?」
                             赤江 瀑


■『星踊る綺羅の鳴く川』/講談社

かつて赤江瀑の『春泥歌』を読んで以来、彼のフアンになった。似た名前のベストセラー作家がいるが、私には赤江瀑が好ましい。しかし、そのすべてが名作とも言えず、この著作など凡作の域を出ない。

書き出しの状景描写があまりにも大袈裟過ぎ、その余韻がいつまでも頭にこびりついて、結局それが終始フラストレーションを掻立てることになった。それが著者の得意とする落し罠とも思えず残念であった。

赤江瀑がこころひかれる江戸の戯作家と時空を越えて切り結び、春宵の夢を見せてはくれるが、まだまだ、まだまだこんなものでは書ききれなかったはずである。登場人物の芝居言葉の流暢さに綺羅を感じ、その楽しみにやや救われる思いがした。

「お話の腰を折るようですが、ご存知ですかえ。南北さんのお芝居にも、鯉幟りの出てくるのがござんすえ」

真っ赤な夕日が沈み、赤い繊月が昇った。

ball-gs2.gif 2001.11.16(Fri)

俳病の夢みるならんほとゝぎす拷問などに誰がかけたか(九月十七日)
                             正岡子規


■『病床六尺』/岩波書店

正岡子規の『病床六尺』を読んだのは俳句を始める前のことであった。その時はあまり注意もしていなかったのだが、よく見れば「肺病」ではなく「俳病」であった。血をはいたり、痰がつまったり、との印象から勝手に肺病と読んでいたのだが、確か病は脊椎カリエス。痛みの拷問だけならず、俳人としての文学上の痛みもあったに相違ない。いや、あって欲しいと思う。

『病床六尺』は、明治35年、5月5日から9月17日まで、新聞『日本』に連載され、この短歌を持って終わりとしている。「拷問などに誰がかけたか」が無ければ俳句と言えなくもないが、どうしても下の七七が言いたかったのであろう。これは俳句では言えない言葉である。

翌18日、有名な辞世の俳句3句を書き付け、その日のうちに昏睡に入り、19日午前1時に息を引き取ったという。


 


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まだ捜している最中。以前、眠り姫の日記を時々開いていたことがあるが、はたしてあれは何処に行ってしまったのだろう。

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