2001.11.15

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journal・不連続日誌・journal


「虚子俳話」のようにはいかないが・・・


ball-gs2.gif 2001.11.15(Thu)

気がつけば夜空の星が冬の星座に変わっている。街のあかりの中では見落としてしまいそうだが、見上げると確かに変わっている。そう思うと、両肩や背中のまわりも余計に寒くなってしまった。背筋を伸ばして歩かねば。


ball-gs2.gif 2001.11.14(Wed)

俊子の目にはその時、山脈があくまで雄々しく、湖がかぎりなくおだやかにやさしく見えたせいか、二つが澄明な冬の陽光を浴びながらおおらかに媾っているように見えた。
                            瀬戸内晴美


■『比叡』/新潮社

まぐわって見えたのは比叡と琵琶湖であった。それは、あまりにも完璧な一つづきの風景として、俊子、すなわち瀬戸内晴美には見えた。男が撞きたがる鐘楼の鐘の場面も、今読み返してみれば媾いの様を描いているようにも思える。

久しぶりに「短歌への扉」を更新。「塚本邦雄−代表歌集の紹介(3)」を作成。

http://members.tripod.co.jp/wadachi999/kunio3/web-kunio3.html

これまで、塚本邦雄湊合歌集に収録されていない歌集を手許に置いていたが、まずこれらのデータを紹介。短歌データベースはきっとSが作成するだろうから、私は自分のための資料として、政田岑生の装訂を知ることができるよう心がけた。


ball-gs2.gif 2001.11.13(Tue)

「ヴェロニカ」という名そのものが、「ヴェラ・イコン(真実の画像)」からつくられた。
                             竹下節子


■雑誌『obra』2001年12月号/講談社

ゴルゴダの丘まで歩かされた男が途中で力つき崩れたとき、その血と汗を拭った布が「聖女ヴェロニカの布」という聖遺物として知られている。

重い十字架を背負い歩いた道のりと、その沿道を見守る群集の中の一人を思う時、どのような状況にあっても救いの手を差し伸べようとする人間がいることにわずかに救われる思いがする。しかし、時の権力者に抗ってまで救おうとする人々はいなかった。これは今も変わらない。

真実とは、ある視点に立てばひとつでありながら、時とともにうつろい、その輪郭があいまいにぼやける画像かもしれない。デジタルビデオで記録された画像さえ、そのピクセルを越えた解像度を求めることは難しいのだから。

「トリノの聖骸布」によれば、男の血液型はAB型、身長181cm。確かにそんな男も居たであろうが、あの人だったとは限らない。


ball-gs2.gif 2001.11.12(Mon)

天網は冬の菫の匂かな   飯島晴子

■句集『朱田』/永田書房

インターネット古書店サイトで注文していた句集が届いた。

下世話な話になるが、定価2500円の句集を、書籍代1000円、消費税、送料、郵便振込料、合わせて1510円で手に入れることができたことになる。私にとっては好条件の買物であった。墨色の板目模様に朱色の長方形、そこにくっきりと「朱田」の筆文字、この力強さは飯島晴子の文字であろうと思われる。

この句集が発行された昭和51年には、まだ短歌にも俳句にも興味のない生活を送っていた。また、書籍を買い求める余裕もきっとなかったはずである。

そして、俳句に関心を持ちはじめ、最初に覚えた飯島晴子の句がこの一句であった。

天網からの連想は、近松の「心中天の網島」であり、現実の冬の菫には匂などほとんど無いと思われるのだが、この句を読んだ瞬間から、天を見上げた我が身を紫色の匂ともよべぬ匂の紐に幾重にも縛られ、身動きのとれないもどかしさに立ちすくんでしまうのであった。

言葉とはこのように身を律するものかと驚きいたり、俳句の底知れぬ魅力の一端を垣間見た思いであった。しかも、この思いは今も変わらない。

見開き4句組みの贅沢な句集のこの隣には、「男らや真冬の琴をかき鳴らし」と生命のエロスを感じさせる句も並んでいる。


ball-gs2.gif 2001.11.11(Sun)

司馬さんも、もちろん、である調で書きました。しかし、この人ほど、この、である調から、押しつけがましさの要素を抜きとることに成功した人を私はほかに知りません。
                             谷沢永一


■『司馬遼太郎エッセンス』/文藝春秋

文春文庫の一冊を手に取った。96年8月10日、第1刷とあったが、店晒しになっていたものか、上8分の1ほどがすでに日焼けして黄ばんでいる。単行本は85年3月に発行されたものらしいが、なぜか愛おしくなって思わず買ってしまった。

「りょうたろう」とパソコンに入力すれば先ず「遼太郎」が出てくるところなど、司馬遼太郎の名前がいかに知られているかの証でもあろう。ただ、私は浅学にしてこの筆名が「司馬遷を謙虚に遠く望み仰ぎ、遼(はる)か及ばず」の意を寓して案出されたものとは知らなかった。銘じておこう。

晴天のため夕暮れは空気が冷えていた。久方ぶりにJと遊ぶ。御機嫌。Mより信州林檎一箱を頂戴する。多蜜美味。


ball-gs2.gif 2001.11.10(Sat)

雨の日の仕事の友とするのは、CDよりもレコードがいい。適度にヒスノイズや針音がするのも、こんな日に聴くのはふさわしい。
                             佐伯一麦


■『読むクラシック−音楽と私の風景』/集英社

旅に出かけるときはMDを持参することがある。しかし、クラシックはまず持っていくことをあきらめている。これはカーステレオで聴く時も同じようなものである。

ポップスやジャズならあまり気にならない外界の音が、クラシックでは気になって、気分が損なわれるのを経験済だからなのだが、レコードとなるともはや持ち出して聴くことさえ不可能に思える。

しかし、純粋に音楽といったとき、この「ヒスノイズや針音」もその音の仲間に入るとは思えない。コンサートホールでの咳払いや衣擦れさえも忘我して音に集中できるならば問題ないのであろうが、私は雑音のない音も好きである。
現代音楽の雑音とも呼べる音が平気な私が、雑音と音楽を区別して聴いているのが不思議でならない。しかし、CDにはCDの、レコードにはレコードの音の楽しみがあるのは納得できるし、時々は黴を払いながら昔手に入れた現代音楽のレコードを聴いたりすることもある。

●今日の音楽:香坂みゆき「ヌーヴェルアドレッセ」/1987


ball-gs2.gif 2001.11.09(Fri)

山頂付近で少し道に迷う。というより、わざわざ見知らぬ道を歩いてみようと、ふらふら歩いた次第。いざとなれば引き返せばいいと思いながらも、かなり下ってしまって、この坂をまた引き返すのは大変と考えたり、優柔不断である。

山麓から聞こえてくる鐘の音をたよりに、道を決め、どうやら交通手段のあるところに出ることができたが、先ほどの鐘は1回50円を寄進しながら衝いていたものであった。紅葉と彼の世の闇ならぬ闇をみることができた。


ball-gs2.gif 2001.11.08(Thu)

Webサイトの更新をしなければと思いつつも、忙しくなると手抜きになる。やはり何事にも優先順位があって、大切にされないものが後回しにされる。それは、つまり、いつも私の名前が呼ばれるのが後回しにされるのは愛されていない証拠かもしれない。


ball-gs2.gif 2001.11.07(Wed)

立冬。今日から暦の上では冬季に入る。空気は冷たくなってきたが、日差の下に立てばまだまだ温かい。しかし、ゆっくり読書する時間がない。


ball-gs2.gif 2001.11.06(Tue)

われ愚かにして知らざれば意(こころ)に問う、これら秘められたる神々の足跡を。詩人たちは成長したる子牛に七条の綱をかけたり、織らんがために。

■『リグ・ヴェーダ讃歌』/辻直四郎 訳/岩波書店

リグ・ヴェーダ讃歌は、古代インドにおいて、神の恩恵により霊感をもった詩人に開示された天啓ともいわれる。

七は太陽(時の象徴)の車を牽く七頭の馬としても神聖視される。成長した子牛を太陽ととらえれば、七条の綱とは、時の運行を司る七曜のようなものだろうか。しかし、詩人、すなわち天啓を受けた祭祠者たちは、神々の足跡を視て人々に伝えたであろうが、過ぎ去った神々の行方は見えなかったのではあるまいか。

国分川に真鴨が飛来して日差を浴びながら泳いでいた。私には時の神は見えないが、枯れた芦原の色が冬の訪れを見せてくれる。


ball-gs2.gif 2001.11.05(Mon)

彼一語我一語秋深みかも   高浜虚子

昼食を摂ろうとして、以前の記憶をたどりホテルの近くを彷徨うが、結局見つけられなかった。後から知ったことだが、小さな和食どころは閉鎖され、洋装店に変わってしまっていたのである。

道路が変わり、店舗が変わり、そしてまた人もかわっていく。年々歳々、かわらぬものに出会うと嬉しい時もあるが、やはり流れにゆったり漂いながら生活するのが一番楽。急流に流されるのは御免だが、流されずにいることは難しい。

今年は、11月7日が立冬である。


ball-gs2.gif 2001.11.04(Sun)

但し書きのない本は初版美本です

2282 玉蟲遁走曲   毛筆識語 函帯 塚本邦雄 昭51 4500
2283 驟雨修辞学   函帯 塚本邦雄 昭49 2000
2284 煉獄の秋    函帯 塚本邦雄 昭49 3500
2285 獅子流離譚   函帯 塚本邦雄 昭50 4000
2286 藤原定家    函帯 塚本邦雄 昭46 3000
2287 星餐圖     毛筆識語署名 函帯 塚本邦雄 昭46 8500
2288 霧とこたえて  毛筆識語署名 函帯 塚本邦雄 昭51 7000
2289 夕暮の諧調   函帯 塚本邦雄 昭46 4000
2290 青帝集     限定二百五十部 カバ 署名 塚本邦雄 昭48 7000
2291 青き菊の主題  函帯 背薄日焼 塚本邦雄 昭 485000
2292 透明文法    函帯 塚本邦雄 昭50 5000
2293 国語精粹記   カバ帯 塚本邦雄 昭52 2000
2294 言葉遊び悦覧記 函 塚本邦雄 昭55 3000
2295 半島      函帯 帯背少焼 塚本邦雄 昭56 2000


■インターネット『海風舎古書目録より』

古書店で手に取ってあれこれ思案する楽しみは無くなったが、自分の探す本を日本中、いや世界中からインターネットを利用して手に入れることができるようになったのだから便利この上ない。

惜しむらくは、私の探し求める書物が、まだまだ個人の書棚に死蔵されていることだろう。廃棄される前に一度は古書目録として記録され、入手する機会を与えて欲しいものである。

海風舎公開書籍は、私の書棚と書箱のなかにもすべて揃っている。後は逆オークションを利用して、求める歌集や句集を手に入れるべきかもしれない。しかし、持っている人がインターネットと縁がなさそうなのが一番の問題である。


ball-gs2.gif 2001.11.03(Sat)

戦没の友のみ若し霜柱   三橋敏雄

■句集『真神』/端渓社

雨。 近所にまたパソコンショップができた。景気が悪くても経済活動が続くかぎり新しい店舗は増えるわけだが、そのために淘汰される店も少なからず存在する。全国チェーンの店の売りは、近所に自店商品より低価格のものがあれば、即日、同等価格に変更するとのこと。交渉では、あと少しくらいの値引きも可能であろう。

節気は「霜降」、しかし高知市内ではまだまだ霜にはお目にかかれない。ましてや霜柱など、真冬でもよほど山間部に行かなければ見ることができない。山育ちの私は、霜柱を踏みしめながら、通学するのが楽しかった。キラキラと輝く氷の結晶を、音も無惨に踏み崩していく快感を味わう機会が近頃無くなったことを残念に思っている。


ball-gs2.gif 2001.11.02(Fri)

男たちは髪を流し 目じりに色をさす
新しい弦を 使いなれた楽器に張る
                             萩尾望都


■『銀の三角』/白泉社

萩尾望都の描く弓に弦を張る上半身裸の男のマンガの一コマを見ていて、ふと弦楽器の起源を想いおこしてしまった。今ではかなり精巧に調律された複雑な弦楽器もあるが、確かに狩猟で獲物を得るために工夫した弓がその原型であることは容易に想像される。それなのに、なぜ今まで、そんな単純なことを思いもしなかったのだろう。

ギターやマンドリンがあまりにも日常の中に溶け込んでしまい、爪弾けば音の出るものとして疑いすらもたなかったからでもある。ヴァイオリンやチェロは、その少し変化した形。しかし、確かに弓は狩猟の道具であり、戦闘の武具の一つであった。

昼間狩猟をした男達も、夜は焚火を囲み歌をうたい、そして弓の弦を鳴らして音楽を奏でたはずである。

弓を持って騎乗する時、馬の手綱を取る方の右手を馬手(めて)、そして弓を持つ左手を弓手(ゆんで)と呼ぶのは、戦に弓が不可欠であったためでもあろうが、戦する男よりは目じりに色をさす男が好ましい。


ball-gs2.gif 2001.11.01(Thu)

秋ごとに来る雁がねは白雲の旅の空にや世を過すらむ
                            凡河内躬恒


■冨山房百科文庫『清唱千首』塚本邦雄/冨山房

午後から少し時間を取り「高知県展」を見に出かけた。会場の都合で、前期・後期に別れているのだが、今は後期、彫刻、工芸、書道、写真の入選作品が展示されている。

どちらかというと、工芸、彫刻はかなり熱心に見る(それでも普通の人よりは早いだろう。インスピレーションのある作品の前にしか立ち止まらないで通り過ぎる)のだが、書道の部で、平入選の1点が気になった。

内容は、古今集の中から気に入った歌やただし書を料紙に書き写し、横長く継いだ後、間をあけて3段に並べ、アクリル入りのかなり大きな額装に仕立てたものであった。料紙を作者(KS)自らが加工したものらしく、白い和紙に手揉みの皺のようなグレーの複雑な陰影が付けられ、とりわけ最上段の一列は鬱然とした背景に整えられ、王朝の栄華というより怨霊が乗り移ったような趣きのものであった。

特に気に入ったのは、最下段、最後の歌に私の好きな凡河内躬恒の「わがやどのはなみがてらにくる人は散りなむのちぞ恋ひしかるべき」が配置され、控えめの朱印、そこから左端までに15、6cmの空白があったことだろう。これで魅入られた魂が救われる思いがした。

入賞と入選の差は紙一重。審査員の好みがかなり左右するところではあるが、私ならば入賞に押したいと思った構成力であった。


 


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まだ捜している最中。以前、眠り姫の日記を時々開いていたことがあるが、はたしてあれは何処に行ってしまったのだろう。

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